江戸プルシャンブルー
美術史資料;
文政12年(1829年)―天保元年(1830年)
江戸浮世絵を代表する北斎「富岳三十六景」、歌川広重「東海道五十三次」を彩り、江戸の美の象徴ともされる青に使われていた青料(青い顔料)が、当時輸入されはじめたプルシャンブルーであったことはあまり知られていません。
プルシャンブルーは1706年にベルリンのメーカー「ダイバッハー」によって発明された人工顔料で、プロシア公国とベルリンの名を取って「プロシアの青」「ベルリンの青」と市場で呼ばれ始め、やがて100年のときを経て大阪堺の薬問屋の店頭に「ベロ藍」の名で並ぶことになったのです。浮世絵師たちの中では上方役者絵を手がけた春好斎北洲がこの「ベロ藍」を使い始めたのが最初といわれています。この後数年をかけてプルシャンブルーは大阪から江戸に伝わり、その変遷と名作「富岳三十六景」とのかかわりについて、国内外の研究者によってさまざまな説が唱えられています。本テキストでは、それらの論文を再検証し各国美術館・博物館等の公開データベース画像とともにまとめたものです。
テキストはワード形式でダウンロードされます。また関連画像はハイパーリンクで見られます。文中青い下線部分にカソールを合わせ、同時にCntrlを押しながらクリックしてください。
本テキスト執筆にあたり、底本として「Henry D Smith II "Hokusai and the Blue Revolution in Edo Prints"- Columbia University」ほかを使用しております。引用についてはそれぞれの段落末尾で明記しています。尚、この場をお借りして研究家諸氏の労作を参考にさせていただきましたことを、深く御礼申し上げます。また本テキストご利用の際は、引用明記をお願いいたします。
本テキストによる講義は2015年11月マカオ国際版画トリエンナーレ展(マカオ)の公式プログラムになっています。藍摺団扇制作ワークショップも同時開催予定です。