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ABOUT WORKS

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“My Dairy” について

 

1998年ポルトガルで初めてタイルの壁画制作に携わったとき、縦3m横5mの大きな画面を横目に14x14cmのタイル一枚を手に乗せてアジサイの花を描いたのが私の最初の「日記」、 マイ・ダイアリーでした。

その後私はタイルの大作やシリーズ作品を作るごとに、その日の出来事や思ったことをつづった「日記」を描き続けました。「日記」は制作に行き詰ったりした時の息抜きの効果もあってできるだけ日常の素材を手軽に扱うことにしました。ですのでモチーフには洗濯物や旅行カバン、そのへんに生えている雑草などがその時に浮かんだ私の気持ちの代弁者となりました。

たまった日記はある程度の大きさにまとめて”Diario”あるいは”Diary”という題をつけて会場の隅に飾りました。こうして数年たつと日記はいつの間にか私の大事な作品テーマになっていきました。

26歳の時にイギリスへ留学し、カルチャーショックを受けました。同時に言葉の壁にも苦しむことになり「言葉」をテーマにした作品を作り始めたのもこのころでした。当時の版画作品”Word galloping around the tree”は、よくスケッチに行っていたロンドンのハムステッドーヒースの林の木の幹の周りを文字のような物体がぐるぐる回っているというようなイメージでした。 

その後チェコに行き ”Gengo”、”Slovo” (チェコ語で「言葉」)という作品を作りました。やがて縁があり1994年のアートスタジオ五日市版画工房での滞在作品では「言葉の森」(後に「夜明けの言葉たち」として発表)と名づけた作品も展示しました。

数年前ポルトガルで制作したタイル壁画の一部に万葉集からの一首を入れ、これをポルトガル語に訳してもらったことがありました。読み人知らずの歌でしたが、考えてみれば私は自分の作品にただ歌を一つ借用しただけで万葉集をまともに読んだこともなければ、1300年も昔の日本人が残した「言葉」とまともに向き合おうとしていなかったことに気づきました。私はこれを恥じ、この年になって初めて日本最古であり、世界にもまれな貴人と人々による大詩集を読み、ついでにノートを作って一首一首書き写すことを始めてみました。

多くは現代訳の助けを借りなければなかなかわかり辛いところがあるものの、そこに詠まれた人々の思いや気持ちというものは今の私たちが感じるもの、例えば愛する人の許を離れて切なく思う、都を離れて寂しい、にぎやかな頃を思い返して自らを慰める、等々まぎれもなく今の私たちと変わらない気持ちが詠われています。読み進むにつれ、ページを捲るごとに出会う歌主一人一人の心の動きが手に取るように、それが長い時を超えてさえなおも瑞々しく私に伝わってくることに驚きました。

これについて西洋美術史・国史学者の田中英道氏は「『万葉集』にも天皇から防人まであらゆる身分の人間の詠った歌が集められ―中略―こうした事実は、文化を決して進歩史観で見てはいけないということを教えています。それとともに人間の生き方は縄文から現代まで変わらないという新たな人間観、人間の見方を学ぶことができると思うのです。」と述べています。

誰が詠んだか名前の知れない人の歌と私たちは心で繋がることができる。いうなれば日々の気持ちを描き表した一枚の絵も遠い未来の人たちと、誰かの心と共有できるのかもしれません。そう考えたときにわたしは今日の出来事や思いをただ書く、描くこと、なんの力みもてらいも流行を追うことなく、自分の気持ちを表すことがとても大切なことに思えてきました。

「万葉集」に詠まれた歌は4200首もあり、まだそのほんの一端しか読んだり写したりしていませんが、こうして出会う一つ一つの歌に込められた読み人の思いと心を共にするという体験を続けています。そんな日々の中で描き進めた私の日記タイル「My Diary」を皆さんにも楽んでいただけたらと思っています。

令和5年 2023年4月25日

白須 純

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​photo: Takahiro Wada 2010

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